事業の再建と地域の復興、その両立を目指して奔走する、東北復興のリーダー
河野通洋
株式会社八木澤商店 代表取締役社長

東日本大震災ですべてを失った家業の醸造業を復活

 岩手県陸前高田市。2011年3月11日におきた東日本大震災で「壊滅的」と報道された町です。約24,000の人口のうち、亡くなった方、行方不明者合わせて1,800人。699あった事業所のうち、604社が被災しました。ここに1807年から続く醤油・味噌の醸造業を営む八木澤商店はありました。なまこ壁が印象的な店舗も、工場や原料を貯蔵していた倉庫も流され製造機能をすべて失いました。

被災した直後、まだ電気も戻らない真っ暗な瓦礫の中で、当時専務だった河野は、父から代表を受け継ぎ、八木澤商店を必ず再建させることを誓います。預金の残高を頭に浮かべ、社員の給与が8か月持つことを割りだし、再生の道筋を考えたのです。

進む道を決めると河野は素早く行動します。社員を集めて共に救援物資を配りながら、4月1日には新入社員の入社式を行い、全社員の前で一人も解雇しないことを約束します。行政の指導は、「一旦解雇、復旧後、再雇用」ということでしたから、当の八木澤の社員が一番驚きました。単に経済的な意味だけではなく社員を守りたい、という彼の想いの表れでした。

5月2日、隣接する一関市に営業事務所を開き、震災前からのつきあいで、信頼しあう同業者にレシピを渡して商品をつくることを依頼、それを全員で販売するところから事業を再開します。震災前の「もろみ」も奇跡的にみつかり、本業への道に弾みがつきます。12月には同じ市内で工場を借り、つゆ・たれ、醤油加工品の製造を開始。震災から1年2ヶ月後には、本設の製造工場を竣工、その5か月後に本社営業事務所を陸前高田市に戻します。

予期せぬ事態の連続に、社運や社員やその家族の運命がかかった重大な選択が求められ、考え、悩み、迷い、決断し、の繰り返し。当時37歳という若い彼にとって、どれほど過酷な状態だったか…。それでも彼は、その辛さを外に出すことはほとんどなく、本業の経営再建に向けた動きに加え、地域全体が何とか底上げされるような新しい試みを次々と展開していくのです。

 

仲間と共に地域を守る

震災前から中小企業家同友会(以下、同友会)の気仙支部(陸前高田、大船渡、住田の2市1町)には、88社が会員となって、「経営者が雇用を増やす努力を。一人でもいいから新卒を採用しよう」、「この地域の中で一社もつぶすな」をスローガンに、互いに切磋琢磨していました。河野は気仙支部の立上げ期からの中心的な存在で、経営状態が厳しい仲間がいると、決算書を見せ合いながら、経営再建の計画まで立てるような濃いつながりを築いていました。

震災後も、具体的な事業再生の資金調達の方法や雇用のための助成金情報の提供など、避難所をまわって仲間に伝えたり、再建に迷う経営者の様々な相談にのったり、自社の本業ばかりではなく、仲間の事業の再生に奔走します。

5月1日には備蓄用の大型テントでの「けせん朝市」が開かれますが、食の卸業を営む経営者がけん引し、河野や仲間の中小企業もこれを支えます。買い物をする場所を全て失った地に、野菜や果物などの食品や衣類や道具などの生活用品などが販売され、被災地の人にとっては、避難所から外出して、互いの安否を確認しあう、大切な交流の場をつくったのです。

さらに、避難所から仮設住宅に移住が終わる夏の終わりに、河野は仲間たちや外部の支援者とともに、新しい雇用の創出を目的とした復興まちづくり会社を立ち上げることになります。

 

陸前高田の「なつかしい未来」をもとめて

地元の働き手は職を求めて、盛岡や仙台などに多く流出することは止められないことや、外から入ってきた支援者―国、建設関係者、専門家、全国からのボランティア―は、いずれ出ていってしまうことが、河野には分かっていました。全てを失ったこのまちを、どのように復活させるかー。尊敬するユヌス氏*1のような、0から1を生み出す社会的企業家たちが活躍するまち、そして、米国のニューオリンズ*2が復活を果たした同じ道を目指したいと考えます。朝市に関わった仲間たちや外部からの支援者と共に勉強会を重ね、ヘレナ・ノバーグホッヂ*3著の「なつかしい未来」と同名の会社の立上げに至ります。起業支援、事業再生支援、雇用創出を目的としたこの会社で河野は、この地域が大切にしてきた価値を再評価して、新しいかたちで復活させる、というビジョンをもとに、活動しています。

 

震災後に強めた「信頼関係」にもとづく未来への挑戦

河野は、震災後の多くの出会いを深く吸収し、醸造業の強みを活かしながらも、新たな挑戦を進めています。同じ価値観を共有できる事業者とのコラボレーション商品を次々と開発・販売。スゥイーツ、ソーセージ、ドレッシング、スープなど、先輩格の事業者からも謙虚に学び、味への妥協なしで、本物を追求しています。

かたや、食の事業者一年生も参加する東北の食の研究会(ブランド)「砥意志(といし)を立ち上げます。「砥意志」は、震災後に仲間となった事業者(現在8社)に、「復興支援で買ってもらう時はもう終わった。一緒に強いブランドをつくろう」と呼びかけ、2015年夏から月に1~2回ベースで研究開発を重ねてきました。新しい商品はまだ開発途上ですが、それぞれ一押しの商品を一つずつアソートしたパッケージ「たねのきもち」を今年3月に試験販売を果たしました。

老舗も一年生もフラットな関係で、真剣に議論し、学びあい、支えあう関係が築かれつつあります。河野らしい場づくりです。大切にしたい、共有したい価値を議論し、ものづくりに活かす。競争より、協創の場になっています。

「誰もが安心して暮らせる世の中をつくる」という河野の目標は、家業についたばかりのころの、亡き恩師(宮城県中小企業家同友会の当時事務局長)からの教示。彼の目線には、子どもたちや障がい者、高齢者にもあります。本業を活かして、多分野の企業と連携しながら、飲食業連動型の人材育成事業を計画しています。

 

河野通洋(こうの・みちひろ)氏プロフィール

1973年岩手県陸前高田市出身。高校卒業後、渡米しコロラド州の大学に入学。父親が倒れたため帰国し経営修行のために97年、岩手観光ホテルに入社。99年、八木澤商店入社。11年東日本大震災で社屋・工場・自宅が全壊。同年4月八木澤商店九代目社長に就任。岩手県中小企業家同友会理事、復興まちづくり会社なつかしい未来創造株式会社専務取締役。

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